WordPressお試し備忘録(1)

さて、そろそろWordPressでもいじってみようかと思いついた。
すでにドメインはあるし、有料のレンタルサーバーもあって、最終的には今のブログを引っ越してそこにWordPressを設置する予定だけど、何事もお試しが肝心と言うことで無料のサーバーで試してみようと考えた。

以下はその備忘録。

1) SiteMx
国内、無料、広告が申し訳ない程度、という噂を聞いて登録してみたが、どうも仕様変更したらしく広告がでかでかと上部に表示された。断念。

2) 000webhost
海外、無料、広告なしということで登録してみたが、アカウントのアクティベーションにまる1日かかった。その上FTPが遅すぎる。大量にアップロードすると止まってしまうので、分けてアップロードするが膨大な時間がかかってしまう。Zipファイルをアップロードしてサーバーで展開できるという情報も得て試してみた。zipファイル自体はアップロードできたが、展開してみるとなぜか6ファイルくらいしかない。なぜ?更新しても6ファイルのまま。もう断念。

3) AwardSpace
海外、無料、広告なし。もう無料サーバーはへぼいことを前提に登録した。登録作業はスムーズ。FTPの接続も速い、ファイルのアップロードもまずまず (遅いけどエラーにはならなかった)。で、WPのコンテンツをアップして、データベース作成して、index.phpにアクセスしようとしたら、Internal Error 500 です。too busyだそうです。← イマココ

以上、備忘録がてら。

「よろしかったでしょうか?」が嫌われるたったひとつの理由

いまさら感のある話題だけれども、いい加減にこの件について一言だけ触れてみたくなった。

増田エントリー
「これでも「よろしかったでしょうか」を認めない奴は何が不満なんだ!」
http://anond.hatelabo.jp/20091010002215

車内での携帯電話

突然ですが、電車の中で携帯電話を使って話すのはマナー違反だとかいう問題が一時期(今でも?)話題になりましたね。電車の中で携帯を使って話している人を見てイライラする人は多いと思うが、これについて何故かをちゃんと考えたことがある人はいるでしょうか?

  • うるさいから?
  • 公共の場所だから?
  • ペースメーカーに影響があるから?

ほんとうにそうですか?ほんとうにそうなんですか?
どうも苦しい言い訳、後から付けた理由に聞こえてしまうのは私だけでしょうか?
確かなことは一定数の人が電車内で携帯を使って話す人に不快を感じていると言うことです。これは紛れもない事実だと思いますが、しかしその明確で納得のいく理由はあまり示されていないのです。

車内での精神病患者

ところで、車内でときどき自分だけの世界に入って独り言を繰り返している人がいますね。私は精神医学についてまったく知識がないので、簡単に「精神病」という名前を付けてしまうのは不適切だとは思いますが、ここでは敢えてそう呼ばせてください。
さて、車内にこの「精神病」の人がいて、独り言を繰り返している。そんな状況で人は、私たちは、いや少なくとも私は言葉には表しがたい不快を感じる。これは何故でしょうか?
他人同士の集まった電車内とは言え、そこに暗黙の、共通の土台に人は立っている、と少なくとも信じています。「精神病」の人を見て、"病気なのだから仕方ない"、"寛容に見守らなくては"、などといろいろ考えるのに、この込み上げてくる不快な感情は真実です。

共通の土台から外れる人々

車内で通話する人、独り言を繰り返す「精神病患者」、そのどちらもが車内で共有している世界から外れているのです。無意識の中で共通の土台に立っていると思っていた人が、その共通のラインから外れていることに人は不快感を感じるのではないでしょうか?

「よろしかったでしょうか?」が嫌われる理由

この表現については、婉曲表現で丁寧さを表しているとか*1、昔から存在していたとか、文法的には正しいとか、いろいろと言われていますが、それでもなお「不快だ」「イライラする」という意見が相次いでいます。

そうした人たちの言い分はいろいろあるかもしれませんが、次のような意見を多く目にすると思います。「文法とか婉曲とかはどーでもいいだよゴルァ、兎に角むかつくんだよ」と。

この人たちの「むかつく気持ち」は真実です。それに対して文法的や語法的なアプローチをしても仕方ありません。規範文法*2 vs 記述文法*3のような構造をしていますが、結局は不快という事実 vs 文法の構図になってしまいます。はてなブックマークでは次のようなコメントがありました。

「よろしかったでしょうか」にカチンとこない神経が理解できない。さっき言ったことをてめえが忘れてるのを隠蔽して確認したいのを敬語でごまかしてんじゃねえ氏ねぐらいの。婉曲じゃなく過去形として使ってんだろJK

「文法も言語学もクソ喰らえだ。俺が嫌だと言っている」

こういうものは、文法上どうなのかは関係ないと思う。聞いて気持ち悪いか、そうでないか。それだけ。慣れの問題だ。個人的には、「よろしかったでしょうか」は方言だと思っていた。

よろしかったでしょうか"←不快。ただそれだけ

「俺ルールに抵触したから許さない」

時制感覚のずれが不快を感じさせる

じゃあなんで不快なんでしょうか?と考えたときに、こたえは先ほどの車内通話、精神病患者と同じです。不快に思う人たちの「時制」感覚と相手の「時制」感覚がずれているからです。直感的に「コイツ、話が通じねぇ、話になってねぇ」と感じて不快になるのでしょう。こちらは現在に生きているのに、やり取りをしていた相手が突然に過去の時間に逆戻りしているのです。これほど不快なことはありません。「俺と会話する気あんの?」と言いたくなる気持ちも頷けます。


そんな中、少し面白いコメントもありました。

イラっとくる気持ちは、単に自分の常識を共有していない人=他者が気に食わないということに根ざしている可能性があるから、はんせいしろ。


反省すべきかどうかはわかりませんが、ここでは共通の認識にズレがあることを指摘しています。ただし、「よろしかったでしょうか」問題が、ら抜き言葉」のそれとは違ってここまで大きな議論に発展するその理由には、単なる文法や語法の問題だけではなく、話し手と聞き手の間に存在する共通の土台が崩れてしまう(と一部の人が感じる)問題だからではないでしょうか

半年ぶりのNigitimate Purpose、ここで終わります。

*1:ブコメでは愛知方面にもこの表現があるとか。私の知る限り、北海道、青森、秋田、岩手で過去形(完了形?)を使った婉曲的な丁寧表現が存在します。

*2:文法の規範で、正しいかどうかを判断する。Wikipedia 参照

*3:実際に使われている言葉を研究して、そこに法則を見いだして説明しようとするもの。

男女がすれ違うシンプルすぎる会話例 Nigitama 版

男女がすれ違うシンプルすぎる会話例を考えてみました。


夫:たっだいまー!
妻:おかえりなさーい!ねぇねぇ聞いて、香織ちゃんのとこ、ゴールデンウィークにモロッコに行くんだって、すごくない?
夫:ああ、そうだね。
妻:やっぱりあったかいのかなー?地中海ってなんか憧れじゃない?
夫:まーそうだね、でもよそはよそ家は家だろ?
妻:え?なにそれ?
夫:いやだから、よそはよそで家は家じゃないの?
妻:そうだけど・・・???
夫:ふーっ、ちょっと疲れたからとりあえず休ませてくれる?
妻:ちょ、、、


これを心の中の言葉も文字化して書いてみます。
括弧の中は心の中で考えていることです。リバーブの効いた音声で黙読してください。


夫:たっだいまー!
妻:おかえりなさーい!ねぇねぇ聞いて、香織ちゃんのとこ、ゴールデンウィークにモロッコに行くんだって、すごくない?(今日ね、すごいびっくりしたんだよ。香織ちゃんが行くモロッコツアーにすっごい特典がついてるんだって!これは絶対驚くから!)
夫:ああ、そうだね。(なんだよいきなり、モロッコ?どこだっけそれ?)
妻:やっぱりあったかいのかなー?地中海ってなんか憧れじゃない?(あら、反応悪い?でも聞いて、今までにないびっくりツアーなんだから)
夫:まーそうだね、でもよそはよそ家は家だろ?(ちょ、何だよそれ、ひょっとして行きたいの?ゴールデンウィークにお前の実家に帰るって言ったのだれだよ?今更予定なんて変えられないし、そもそも今からじゃ航空券なんて取れねーよ)
妻:え?なにそれ?(待って待って、話かみあってなくない?モロッコだし)
夫:いやだから、よそはよそで家は家じゃないの?(どうせ俺は香織ちゃんの旦那のより稼ぎは悪いよ。でもさ、こっちは家のローン組んでんだぜ、ロ・ー・ン。わかる?)
妻:そうだけど・・・???(なんで態度急変してるの?ご機嫌で帰ってきたのに・・・私の話がつまんないの?ひょっとして、私といるからつまんないの?)
夫:ふーっ、ちょっと疲れたからとりあえず休ませてくれる?(そういう話は「聴く」モードになってからにしようよ、帰宅後いきなりそれはキツイってば)
妻:ちょ、、、(疲れてる?ウソでしょ、元気で帰ってきたのに、何それ?私といると疲れるってことなの?)

男女の思考が違うという哀しい現実に気が付くために

今日、こんな増田を読んで笑った
痴漢の被害の話を女性が男性にすると、男性がイラっとしやすい理由

自分も知人の女性に痴漢被害の話を聞いた事があるが、流石に被害者が悪いとまでは言わないが「そりゃ大変だったねぇ」としか言えず、なにかこうフに落ちないものを感じた。

男の私からすれば「あるあるw」の一言。


この記事に対するはてなブックマーク もまた面白い。2009年4月27日の午前10時過ぎの段階でブクマ数が76件、しかもただのブクマじゃなくてコメントがいろいろと書いてあった。

批判的と捉えられる意見も多く、こんな感じ

うへぁ。打てる対策で考えつくのが「女がしっかりするしかない」っておい。他にもいろいろあるだろうよ。だいたい注意ってなんだ上から目線だな/a manとthe manとmanとmenの区別も付けられないのにどこが理性的なんだ


『痴漢被害の話は「男はみんなこうだ」という内容を暗に含む。』だからー、何でそう思っちゃうのかなー。そう思ってしまう背景は?/あとこれ前提として「男は理性的/女は感情的」っていつものアレな対立軸作ってる。


「女性がしっかり」ってなにすりゃいいのか思いつかない。なにをすればどうなるって?/必要・可能なのは被害は被害って認識(どんな表出を行うかは関係性次第)と自戒くらいかなあ、いわゆる男が私的に行うぶんには。


冷静な意見もいろいろありました。

30代妻子餅ならば、女子の愚痴のひとつも聞いてあげるのが甲斐性ってものだと思うのですが、ダメですか?


男が女がしっかり云々とかいうこの記事の物言いは置いといて、「相手が心理的安心のための共感の言葉を求めてる時に、具体的で現実的な対策の言葉をかけてしまう」という問題自体は頻繁にある。すりあわせが必要。


増田で愚痴ろうと思ったその気持ちがまさに『女性は、共感して欲しいのだと思う。』なんじゃないかなぁ./男女は別として,問題の根幹が「相談」のとらえ方の齟齬にある点は同意.


ただ話を聞くという行為の意味を理解した方が良い。1,2で貴方が納得できる答えを用意できない身におくことが屈辱的と感じるならもう少し人間の(女性のじゃない)ことを学ぶべき。追記は斜め上警察的の言い訳。


どうしてこんなに盛り上がるのか不思議だけど、自分自身、めったに書かないはてダを書いています。刺激されちゃったようですね。
で、ブコメをみていると「男と女という二極化」、「一般化」、「単純化」に対して抵抗を感じている人が多いようですが、そんな人には是非これを読んでもらいたい。

この人と結婚していいの? (新潮文庫) (文庫) 石井 希尚 (著)

アマゾンのレビューがまた極端で笑えるんですけど、昔流行った地図の読めないなんとかっていう本に近い内容なのかもしれません。この本をお薦めする理由は、「具体例が豊富」だからです。脳みそがどうだとか、理論的なはなしもありますが、実際のありがちなケースに則した話があるのがとても面白いんです。これは是非、パートナーと一緒に読んでほしい。

この本には、あるカップル(or夫婦)がケンカをしてしまったときの事例がいろいろと載っています。パートナーと一緒にこれを読み進めていくと、あらあらどうして、本当に面白いことに気が付きます。
このケーススタディでは、男女がケンカに至るまでの双方の考え方、行動、言い分を並べていきます。なぜ彼女はこんな発言をしたのか?それを聞いて彼氏はどう考えたのか?こうしたケーススタディを読んでいて気が付いたこと、それはどうがんばっても私は男の味方だったんですwwwww
そして女性の考え方を理解しているという自分のごう慢な思い込みにも気が付きましたw

これにはほんと、参りました。私はこの本を彼女(現嫁)と読んでましたが、嫁もことごとく女の味方的な考え方、発言をしていたのです。

大きな視点からの話もいいですけど、具体的な例に自分とパートナーをあてはめていくことで、よりリアルに自分の考え方や相手の考え方に気が付きます。

そして男女の考え方の違いはどちらが優れているとかいいとか悪いとか、そういう話ではなく、純粋にただ違いだけということを実感できました。
考え方の違いは対立を生まない。違うんだという開き直りから、歩み寄りを始められると思います。
男は理論的、女は感情的、というのはおおざっぱな言い方ですし、それじゃあ男は感情的じゃないのか、女は理論的じゃないのかって言えば、決してそういうことじゃありません。でも違うんですよ、具体例に当てはめながらパートナーと自分の意見を交換してみると、残念ながら自分も典型的な男(女)であったと気付かされます。

もちろん大事なのは、自分の考え方を理解した後に、相手の考え方を理解しようとすることです。「しよう」とするだけでいいと思います。全部を理解する事なんて、男女の違い以前に人として無理ですからね。

上から目線とか言われそうだけど、自分はいつまでたっても男なので、男的な発想をする傾向は変えられないと思いますし、変える必要もないと思っています。


追記:
上で紹介した「この人と結婚していいの? (新潮文庫)」にも出ているような男女がすれ違うサンプルを次のエントリ「男女がすれ違うシンプルすぎる会話例 Nigitama 版 - Nigitamate Purpose」に書いてみました。我ながら読み返す度にプッと笑います。

NHK始まったな - 新番組 IT ホワイトボックスがすばらしい件

先日、DVDのHDDに録画した番組一覧を見ていたら、見慣れないものがありました。
どうやら間違って録画したようですが、消す前に一応中身を確認してみて驚きました!


NHK ITホワイトボックスという番組で、高市佳明アナウンサーと森下千里が進行役をしています。
なかなか良い番組だし、いままでのテレビが扱ってきたネットという存在とは違った取り上げ方をしていることに非常に好感が持てました。
第一回の「メールはなぜ正しく届くの?」では、レギュラーかどうかわかりませんが、おなじみ慶應義塾の村井教授が出ています。

内容は思った以上に詳しくて、SMTPメーラーデーモンについて簡単に紹介したり、SMTPのやりとりまで取り上げたりしていてびっくりしました。そして「RFC」なんて言葉まで飛び出す始末!

特筆すべきは、今までのテレビや新聞などの既存メディアがネットの危険性や怪しさをかき立てることが多かったと感じるのに対し、ITホワイトボックスでは、「インターネットはみんなのためのもの、みんなでつくる、みんながよくしていくんだ」ということを強調している点です。

これはなかなかの良番組、NHK始まったなと感じました。

人々が企業に抱いている間違った期待 (企業とは契約書の束である)

いまさらながら派遣切りとか派遣村とか云々について思ったことを書いてみる。
猫も杓子も不景気だと騒ぎ立てているこの世の中。昨年の終わりごろから「残虐非道」な企業が派遣社員を「」のように扱い「血も涙もない」派遣切りを行い、社会的な問題になっています。

・・・というのが、良く聞く話ですが、はたしてそうでしょうか?
私たちは冷静に事態を把握する必要があると思います。


最初の疑問は、「企業」が「残虐非道」なことをするのか?という点です。これは非常に曖昧な疑問ではありますが、この「企業」を具体的に「キャノン」の置き換えて考えてください。これを読んでいるあなたは今どんな映像を思い浮かべていますか?キャノンの残虐非道なロゴですか?東京都大田区にあるキャノンの残虐非道な本社ビルですか?大分県にあるキャノンの残虐非道な工場ですか?いったい誰ですか?
バファリンの半分は優しさでできていますが、企業とは契約書の束でできています。そこには1%の優しさも、1%の残虐性も含まれていません。企業を人のように考えてそこに人間性を見いだしている間は感情的にわかりやすい話かもしれませんが、何の問題解決にすらなりません。それどころか問題をよりいっそう深い闇の中に自分から葬っているようなものでしょう。


え?「言葉のアヤくらい理解しろよボケナス」ですか?「キャノンと言ったら御手洗冨士夫とその不愉快な仲間たちのことだろ空気嫁」ですか?はいそうですか。わかりました><

では「御手洗冨士夫とその不愉快な仲間たちが残虐非道な派遣切りをしている」という仮説を立ててみましょう。次に「なぜ御手洗君らが残虐非道な派遣切りをしているのか?」という疑問が浮かんできます。派遣社員を物のように扱っているから」「金のことしか考えていないから」「派遣社員はそもそも雇用の調整弁だから」・・・ちょ、ちょっと落ち着きましょう。

なんだか話がわかりにくくなっています。そうだ、逆に考えるんだ。「雇用し続けちゃえばいいんだ」って。つまり、「御手洗君らが優しく派遣社員を雇用し続けた場合」を考えてみればいいんだ。チェスや将棋で2手3手先まで読むように、このシナリオについて考えてみよう。

キャノンは派遣社員を雇い続ける

キャノンのカメラだけちょっとだけ高くなる[*1]

そして俺はペンタックスを買うここでチェックメイト


しかし「優しい人がバカをみる社会は良くない」と言う人もいるでしょう。私もその意見に賛成です。派遣社員を雇い続けた優しいキャノンですから、皆で少しだけ高いキャノン製品を買えば派遣社員を雇い続けることができるので問題解決のはず・・・ですがやはりそうは問屋の倉庫です。これはある一定数以上の消費者が(少しだけ高い)キャノンの製品を買う場合に成立する話です。自分以外のみんながキャノンの製品を買ってくれればいいわけで、やはり私はちょっとだけ安いペンタックスが買いたくなります。同じようなことを皆が考えて、結果、多くの人がペンタックスのデジカメを買うことになってしまい、先ほどの前提は成立しません。
[*2]
こうした行動を起こすのは消費者だけではありません。株主だって黙ってはいませんよ。自分に回る配当が減るかもしれないので、別の会社に資金を動かしてしまうかもしれませんし、そもそもそうなる前に「派遣社員を切れ切れコール」が始まるかもしれません。

こうして見ていくと、消費者や株主とはまったくもって残虐非道です。・・・おっと、2番目の疑問の答えはここにありそうです。残虐非道なのはキャノンのロゴでも富士雄君でもない、つまり私でありあなただ。消費者であり投資家だ。

「私は違う!」と言う人もいるかもしれない。私もできれば残虐非道な消費者ではありたくない[*3]。でもよくよく自分自身を振り返ってみよう。私たちは一円でも安く物を買うために比較サイトを渡り歩いて最安値を探し出し、一日でも早く自宅に配送してくれる業者を選んでしたり顔です。[*4]その結果、企業は一円でも安い物を一日でも早く発送しようと努力し、巨大倉庫に物を詰め込んで低賃金で労働者を働かせることもいとわないでしょう。生産調整という効率的な判断の結果、派遣切りも実行するでしょう。そうでもしなければ会社は消費者からも投資家からも(つまりあなたから)すごいスピードで見放されてしまうのです。

後味の悪いことを言って良いならば、アマゾンの倉庫が劣悪な労働環境であるのを知りながら今日もワンクリックでお急ぎ便の恩恵を受けているあなたは残虐非道であると言えます。

まあ挑発的なことはこのくらいにして、前向きに解決策を考えてみたいと思います。
昔の人は言いました。「個人が自己の利益を(利己的に)追及することで、結果的には社会全体の利益に通じる」と。ここにはお約束的な注意書きが必要だと思います。「*ただし適切なルールのもとに限る」と。

今回のような派遣切りの問題を企業の社会的責任や正義に求めるのは非論理的です。消費者や投資家の正義感に求めるのは非現実的で限界が見えています。本来、企業には善悪などないはずです。企業とは契約書の束である。言い換えれば法律の結晶でもあります。そしてその法律を(間接的に)変えられるのは他でもない、私たちであるはずです。

答えとなるルールが派遣禁止(or見直し)、正社員の解雇規制緩和、それ以外の何かなのかはわかりません。しかし、必要なのは感情論ではなくてルールの作成or改正であることには変わりありません。

*はてなダイアリー2回目にしていきなり難しい話を書いてしまいました><正直すこしだけ後悔している。

*1:内部留保を使えば価格に転嫁しなくてもすむという意見もあるかもしれませんが、どのみち競争力が落ちるという点で見れば同じことですよね (同様に正社員の給与引き下げで吸収しても競合他社に後れを取ることになる)。パイは有限なのです。

*2:こうしたジレンマでは分母(対象者)が大きいほど裏切り者(ペンタックスを買う人)は多くなると思います。

*3:私は今日、アマゾンで本を買うのをやめて近所の本屋に行きました、マジ話です。でも品揃えが悪いので結局買わずに帰ってきました。

*4:Amazonの配達を指定した日付・時間帯に届くようにする方法(ペリカン便の裏技)というエントリが400件以上のブックマークをたたき出してホッテントリしていますね。

崖の上のポニョを観ました。感想を書きます。

さて、Nigitama の記念すべき「初はてダ」となります。
とりあえずこれを「Nigitamate Purpose」と名付けることにしました。
第一回目は崖の上のポニョを観てきた感想を書きたいと思います。
これは私個人の感想であって、他者の感想や考えを否定するものではなく、それぞれの人がそれぞれの感じ方をしていることを十分承知しています。


<注意>

ここから先は、物語の核心に触れる所謂「ネタバレ」が満載です。まだポニョを観ていない人は先を読む前にいろいろと考えてくださいね。
 

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